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東伏見から発信するサッカー中心の生活日記
We'll never walk alone
2011年3月21日(月・祝)

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せっかくだから1年を振り返ってみよう
2010年12月30日(木)

2010年もあと少し。みなさんにとってこの1年はどんな1年だったでしょうか?

せっかくブログを書いているので1年を振り返って自分の記事をさくっと読み返してみました。
年初からの前半は何と言っても東京マラソン出場。当時の実力、練習量、コンディションを考えると自分の最高のパフォーマンスができたと思います。これもみなさんの応援があってのことだと思います。ありがとうございました。
春には2度目のフルマラソンや初めての自転車レースへの参加がありました。

6月からはワールドカップイヤーでしたねえ。どっぷり浸かって感動をもらいました。サッカー最高でした。サッカーと言えば数年ぶりに朝練なんぞも何度か行ってみました。
嬬恋まで行っての過酷なキャベツマラソン(10㎞)っていうのもありましたねえ。

夏の記録はなぜかあまり書いていなかったけど、とにかく『激暑』な夏でした。
8月上旬の屋形船が夏の思い出に残っています。楽しかった。

秋には初めてのぎっくり腰(背中)をやりました。激痛でした。案外長引きましたねえ…。

そしてこの冬は聖地国立でのEKIDEN、夏山のハンド優勝、FC東京がJ2陥落(!!)…などなど。

1年って過ぎるのは早いけど振り返ってみると何だかんだ言って色々ある。
結局は健康に楽しく過ごせて良かったなってことに落ち着きます。

来年の挑戦イベントは色々検討中。四十半ばのおっさんは前向きに頑張っていきますよ!!

本年もお世話になりました。来年も何とぞ宜しくお願い致します。
FIFA
2010年12月4日(土)

祈りもむなしくやはりだめでした。22年ワールドカップ。
南アフリカ→ブラジル→ロシア→カタールと今後の開催国を見てみると新興国で財力があって政府の支援がしっかりしているということになるのでしょうか。

今回の私の裏予想(希望)としては18年がスペイン/ポルトガル共催、22年がオーストラリアと密かに思っていたのですが全然違いました^^ゞ
FIFAが変わったというより世界が変わった(変わり続けている)のでしょうね。

日本と他の国では招致にかかる費用が全然違っていたらしい。もう一協会のレベルではなく国の予算規模だそうです。
それでも日本のプレゼン、田島さんなど頑張っていましたね。
この模様は一部ニュースで流れていましたが、あのプラティニが最後に握手を求めに来ていましたね。

それにしても疑問が二つ。
まず、時間をかけて入念に作られたであろうレポート。一番評価が低いロシアとカタールが圧勝するってどういうこと?意味ないんじゃない?
また、どうして今回いっぺんに2大会分の開催国を選ばなければならなかったのか?
どうも毎回こういうきな臭い感じがある。開催国選びってのはそういうものなんでしょうけど…。

今回、日本が敗れたことにより、次の2大会は立候補できないそうなので次回立候補できるのは中国が出てくるであろう2034年大会!!
24年後かぁ。りおちゃんは32歳だよ~(笑)
2010新年
2010年1月3日(日)

あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

すっかりご無沙汰してしまいました。
この間、ネタ的には、名古屋でのおいしい味噌煮込みうどんのこと、観に行った高校ラグビー、六本木ミッドタウンのイルミネーション、ミスチルの東京ドームコンサート、東久留米総合高校の全国大会…などのアップを考えていたのですが…どうも時間がなくて…(走ってもいないのに…!?)。

走っていないと言えば、前回記事で「復活!?」と題して再スタートを切ったはずなのに、相変わらず歩いててもピリピリした痛みが気になり、だんだんテンションも。で、結局12月の走行距離は28㎞!!280㎞じゃないですよ。28㎞…。走り始めたこの1年での月間最低距離になってしまいました
数ヶ月前の予定では、11~1月までの3ヶ月は月間300㎞ずつ走って、レース当日は4時間~4時間半で余裕で楽しみながら走るという目標だったんだけど…。

友人が前回立てたスローガン「完笑」に習って、楽しんで走るという意味の「楽笑」というスローガンを考えていましたが、ここにきて完走さえもおぼつかない状況になってきたのでスローガンはシンプルに・・・

100103.jpg  えま


『完走』

友人からもらった絵馬にこの新年に書き込みました。

昨日、今日と駅伝を観て元気をもらい、久しぶりに15㎞、10㎞と続けて走ってみた。体はめっちゃ重くてすげー疲れたけど思ったより調子は悪くない! 足の痛みもだいぶ消えている。

とにかく2月末のレースまでできるだけ頑張る!
そして東京のゴール後に何を感じるかを楽しみにしたい。
考えず、感じたい。
悔しい気持ち、満足な気持ち、ひょっとしたら完走できず泣きたい気持ちなんてことも…

この挑戦が今後の自分の人生の糧に少しでもなれば良いな。
まず感じてみよう。

『Don't think. Feel!』で。
尾崎
2009年5月5日(祝・火)

4月25日は尾崎豊の17回目の命日だった。
彼が生きていれば同級生。中年になった尾崎はどのような歌を聴かせてくれていたのだろう。

彼と出逢ったのは、ある週刊誌の大阪球場ライブの成功記事。『シャウト』という言葉がずっと心に残っていた。
そして、それからしばらく経ってからマザー&チルドレンという当時の所属事務所が企画したフェスのビデオコンサート。当時大好きだった今は無きHOUND DOGやRED WARRIORS(ダイアモンド☆ユカイがボーカル)が出ていて、その前座で尾崎が歌っていた。確か渋谷公会堂あたりで観たような気がする。
大嵐の中で狂ったようにシャウトしていた尾崎の姿は心の中にさらに残った。

そして出逢った尾崎のCD。
17歳時に書いたとは思えない感性と共感できる世界感。すぐファンになっていた。

何度も聴いたCD、ビデオ。そして生でTVに出た「夜のヒットスタジオ」。
そして実際に行った代々木競技場でのライブ。
未だに青学の近くを通るとこの歩道橋から尾崎は街をぼんやり見ていたんだろうなと思ったりする。

今の若い人たちも知っている代表曲「I LOVE YOU」や「卒業」も良いけど、何と言っても尾崎のあの声のバラードが好きだ。
「ダンスホール」、「シェリー」、「Forget-me-not」、「群衆の中の猫」、「傷つけた人々へ」、「僕が僕であるために」、「街路樹」、「優しい陽射し」などなど…。

92年に亡くなるまでの青春時代を一緒に歩めたことは誇りでもある。今でもたまに聴くと引き込まれる。

やはり今の尾崎の歌が聴きたかった。

何だかカラオケで『シャウト』したくなってきたぞ。
四十三だけど「十五の夜」を。