久しぶりの更新です。
人生初のウルトラマラソンを走ってきました。来年一緒に参加する人のために(?)備忘録として細かく記しておきますのでものすごく長くなりますが、よろしければお付き合い下さい。
さて、4月30日(土)に行われた「21stチャレンジ富士五湖」。このレースはビギナーズ(正式には72.5㎞)、レギュラー(100㎞)、チャレンジ(112km)と3つの部に分かれています。
私は当然、ビギナーズの部(72km)に参加してきました。
(レース当日の様子だけ読みたい方は前置きが長いので⑤あたりからお読みください。)
![008[1]](http://blog-imgs-15.fc2.com/m/a/l/malukei13/20110504194508f22s.jpg)
①ウルトラに出るきっかけ
1年位前までは全く興味が無いというか、出る人はアホだ!的な感覚でおりました。
昨年100㎞の部に参加したアホな仲間を応援しに行った時から意識が少し変わってしまいました。
きっと参加している人は鉄人のようなごっつい人達だけなんだろうなと思っていたら、全然そんな感じはなく、おっさん・おばはん・ギャル・たまに太っちょもいる…。そんな普通のマラソン大会と変わらない、いやスピードだけ見れば明らかに遅いスピードで走っていて歩いている人もいる、そんな「ゆるい」感じを受けたのが外から見ての第一印象でした(今思えば、それは序盤の様子を見たからなんですが…)。
その時に「いつか出られるかもなあ。」なんてことを思ってしまったのです。
そして昨年末の職場の忘年会で、ランを始めた(始めさせた?)ばかりの同僚が「来年はウルトラマラソンに出るのが目標です!」とつい酔った勢いで言ってしまったのを聞き逃さず、「それなら富士五湖ってのがあって案外楽しそうだから100㎞出ようよ!」と私も酔った勢いで誘ってしまいました。
さすがの同僚もその後HPを見た後に「フルも走ったことないので、さすがに100㎞はヤバいっす。その下の72㎞にしましょう。」と…。
で、年明け早々に二人でエントリーしてしまったという次第であります。その後もう二人参加者が増えました。
②練習量とコンディション
昨年の東京マラソン後はほとんど走っておらず、平均月30㎞位って感じだったでしょうか。
富士五湖エントリー後の年明けからは、やや気合を入れ始めて月100㎞位。しかし、震災後は走る気が全く起らず、どうせ他の大会同様中止だろうと3月一杯は何もしませんでした(何もする気が起きませんでしたね)。
大会開催が改めて決定したのが3月末。4月からは慌てて気合を入れなおし半月で100㎞弱。調子が出てきたなあと思ったら風邪(咳が止まらない)でダウン…。もう開き直って当日までの2週間は何にもしませんでした(笑)。
そんなコンディションで挑んだ素人のおっさん。結果は言うに及ばず…!?。
でも実はなぜか72㎞ならギリギリ制限時間内(11時間)でいける気がしていたのです。
③当日の持ち物(来年のために書き残しておきます)
□大会要項、ナンバーカード
□帽子(必需品)
□腕時計
□サングラス
□ウインドブレーカー(夜は寒い)
□手袋(晴れてたけど長い時間使用していた)
□携帯電話
□小銭入れ(終盤、寒くなりコンビニで缶コーヒーを買った)
□ウエストポーチ(リュックをこのレースのためにわざわざ買ったのでリュックにするか迷ったけどエイド2箇所に事前に着替えを置けるので結局小さいバッグにした)
□塩(お土産で頂いた物で常に携帯。汗っかきなのでたまに塩分補給。かなり助かった。エイドにも何ヶ所か置いてあった)
□カッパ(雨でなくてもスタート前は寒いかなと思い用意したけどスタートの8時にはもう日が出ていたので使用せず)
□エネルギー補給用ゼリー(170mlの物を2本用意。30㎞位までに無くなる)
□ポケットティッシュ(鼻が出てきたので役立った)
□小さいおにぎり(3個持っていたが前半で無くなる。エイドにうどんやおにぎりもあったけど終盤は足りない。後半はさらに2個もらった)
□ペットボトル(200ml用の小さい物。エイドだけでは足りず。これは持ってて良かった。無くなりそうになったらエイドで常に補充)
□アミノバイタル(3袋ほど持っていたけどエイドにヴァームがあったので結局使わなかった)
□バンドエイド(マメができたらと思って持って行ったのに着替えと一緒に返却したから52㎞地点でマメができたけど使えなかった)
□エアサロンパス(どこかの大会でもらったスプレー式の物を2本。エイドで使いきった)
□着替え用ビニール袋(コニビニ袋2つ)
□着替用Tシャツ(2箇所の着替え地点で長袖・半袖共に着替えたので計3枚ずつ)
□短パン(最初の23.9㎞地点の着替えでハーフパンツからはき変えた)
□日焼け止め
□湿布(接骨院からもらった塗るタイプ。エアサロンパスがあったので使わず)
□靴下(予備で持って行ったが使用せず)
④出発~スタートまで
ビギナーの72㎞は8時スタートなので、その2時間前の6時には着きたいなということで4時出発と思っていたが、前日のGWの大渋滞のニュースを見て急きょ3時出発に変更。結局30日早朝は渋滞が無く約2時間で現地に着いたのでした(駐車場は結構大きかったので問題無く入れる)。
受付を早々に終わらせて朝食を食べ、2箇所ある着替え地点に持っていってもらう着替え袋に荷物を分けたり、トイレに行ったりしている間にあっという間にスタート前の時間になる。
⑤レース
さて、前置きが大変長くなりました。ここからがレース本番です。
富士北麓公園内にある陸上競技場から見える富士山がものすごく近くてめちゃめちゃきれい。スタートの天気が良かったのには救われた。すでに日なたは暖かい感じ。
ゲストで来ているワイナイナ選手や猫ひろしとハイタッチを交わした後、スタート。
![016[1]](http://blog-imgs-15.fc2.com/m/a/l/malukei13/201105041946280ees.jpg)
ウルトラマラソンを走ると思うとめげてくるので、ずっと思っていたのは制限時間を目一杯使ってできるだけゆ~っくり走る『「ちょっと慌てたハイキング」だと思おう』ということでした。(笑)
更には昨年出た仲間の助言に従って10㎞×7本って感じで10㎞毎に必ずストレッチを充分に入れていこうと。
最初の10㎞。多分キロ8分強くらいでかなり意識的にゆっくり走る。良い天気と自然の素晴らしさ。最初は楽しかったなぁ。走りながら「絶対、来年も出よう♪」とこの時点ではルンルン気分で思うのでした。
河口湖に入った15㎞過ぎ。両太ももがやや重くなってくる。「こりゃ少し早い!」と思ったけど、これが練習不足ってやつですね。ここからはエイド毎に足を冷やしながらごまかそうとするのでした。
最初の着替え地点。23.9km、西浜小中学校。このレースで一番険しい坂がある峠道の途中にあるエイドが最初の関門です。
100㎞以上を走っている人達はすでに同じ道に合流していて距離は42㎞を走破している。早くもあきらめモードの100㎞選手が坂道手前のコンビニで缶ビールを飲んでいるのには笑えました。
エイドで着替えてリフレッシュして再スタート。ちなみにこの後の激坂は歩かせてもらいました。(苦笑)
![SANY1700.MP4[1]](http://blog-imgs-15.fc2.com/m/a/l/malukei13/20110504194830609s.jpg)
その後、相変わらずゆっくりのペースで西湖を通過。精進湖から本栖湖入口までの折り返し地点のエイド(42㎞地点)までが長かった。しかも余裕だと思っていた関門時間が結構ギリギリだったのは意外だった。途中トイレで並んだり全部のエイドで水やバナナなどの食べ物を食べたりしてキロ9分位かかっている。
他のランナーが「ここからはキロ8分でないとゴールは無理」と言っているのを聞いて、「正直、しんどいなあ…」って感じになり、疲れがどっと出てくる。両足(もも周辺)もかなり重い…。「ここからが未知の世界だ、行ける所まで頑張ろう!」と再スタートするのでした。
その後もしばらくトロトロと歩くように走る。当日は風がかなり強く日差しの割に体感的にはやや寒い位。
かなり辛いなあと思っていた45㎞地点。これまでも数ポイントで応援してくれたカミサンがまた立っている。「かなりきついわ。無理かも。」って言おうと近づいていくとそこにサプライズ!仲間達が立っているではありませんか。
もうビックリ。言ってよ~!って感じ。よく来てくれたなあとか、ここまで来てもらって悪いことしたなあとかその後、色々走りながら考えてしまいました。とにかく感謝感激!!
みんなと一言だけですが話をして握手ができ、ここで本当に元気がもらえました。応援って改めて凄いなあと実感させられました。本当にありがとう。嬉しかったです。
そこからはウソ?って思う位の元気が出てきて、「ここまでわざわざ応援に来てもらったんだから絶対最後まで走りきってやる!」という気持ちになり、45~60kmはかなりハイペースになっていく(下りが多かったというのもあるが)。足は10㎞毎に大変な重さになっていくが、自分が思っている以上にパワーが出てきて、これは完走も夢ではないと思ってきた。
でもさすがにそこまで甘くないのがウルトラなんでしょう。
水をもらうためにエイド毎に立ち寄って足を1回止めてしまうと、走り出しの数歩で膝やももに激痛が走る、52㎞地点では左足裏にマメができる、持っていた食糧も無くなりお腹が空いてパワーもなくなる…などなど、これだけ長く走っていると色々なことが起きてきます。
![P1010681[1]](http://blog-imgs-15.fc2.com/m/a/l/malukei13/20110504195356a16s.jpg)
最後の関門(67.5㎞)に間に合うかかなり微妙な時間になってきたところで、エイドで距離と時間を確認したら「最後の関門まであと5㎞。制限時間(10時間20分)まで35分。」とのこと。
普通なら5㎞30分って楽勝なはずなんだけど、さすがに60㎞越えてのその時間はやや絶望に近い。が、最後まであきらめず行こうと15分ほど最後の力を振り絞り最大限のダッシュを試みる(多分大したスピードではないのだろう)が、一度信号で止まってからはもう足が走るのを拒んでいる、走り出しの痛みに耐えられなくなってしまった。
最後の2~3㎞位はほぼ歩き状態。途中寒くなりコンビニで缶コーヒーを飲む。腰に巻いていたウインドブレーカーを着る。
「応援に来てくれた人達に申し訳なかった…」と思いながら、もうジョグにもなってない走り(手だけ振っている)で、最後の関門を目指す。
最後の関門地点がゴールまで5㎞なので、関門に引っかかってでもゴールまで暗い中、走り(歩き)きってやろうと当初思っていたが、この悔しさを来年にぶつけようと思いその関門(河口湖町立体育館前)にて終了しました。走行時間は10時間45分。(って、本当はもう歩くことも困難でした。多分そこからずっと始まる坂はたかが5㎞だけど、されど5㎞で多分ゴールまでは更に1時間半はかかったことでしょう…)
関門の係のおじちゃんから「来年もまた来いよ~」って言われて「また来年必ずきますよっ!!」って自然に答えている自分がいました。
レース後、カミサンの運転する車でゴール地点へ。
途中、制限時間の11時間が過ぎても最後の関門を突破したランナー達が真っ暗な最後の坂をみんな頑張って歩いている。
そしてゴール地点に。ゴールに入ってくる人の満足そうな笑顔、泣き顔を見ている内に「やっぱりここまで来なきゃだめだ。」という悔しい思いがふつふつと湧いてくる。
来年、絶対完走してゴールで泣こう、そう誓いました。
なぜみんながこんなアホな距離を走るのか、ゴールシーンをジーンとしながら見ていてその答えが分かった気がしました。
ノリで挑戦したウルトラマラソン。ビキナーの72㎞でもやはり甘いものではありませんでした。誰かに「チャレンジしようと思った時点で、その事の50%はもう達成している」なんて言われたけど、まだ20~30%は達成していない感じです。
100㎞以上走る人達は本当に凄い人達でした。尊敬ものです。ウルトラマンです。
あ、そうそう今回一緒に走ってくれた義弟は見事完走しました。さすがでした。でもこの鉄人でさえ「走るのはしばらくいい」と言っていた位、きついものだったようです。
来年はきっちり練習して、完走者だけに与えられるメダルをもらいにいきます。そして失われた5㎞を取り戻しに行きますよ~!
来年こそは絶対に“ウルトラマン(ビギナー)”になってやる!!
最後にメール、ツイッター、電話で、また現地にわざわざ来てくれて応援してくれた方々、本当に有難うございました。すべての応援がパワーになりました。
みんなに応援されたってことが今回のレースの一番の収穫なのかもしれません。
では、また来年!一緒に頑張りましょ!(笑)
K氏も参加されていたんですね。
皆様お疲れさまでした。
なんか書かれていることが、わかるわかる状態でなんだか泣けてきます。その距離でも十分ウルトラマンだと思いますが、もうあのメダルがほしいという気持ちもすごくわかります。
来年こそはメダルをゲットしてくださいです。そして来年は諸々の都合が合えば、是非ご一緒したいなぁと(今は)思っています。(笑)
とにかくお疲れさまでした。
ありがとうございます。
来年は、ぜひ一緒に出ましょう!!
あねさんとかささんは100㎞で。(笑)
あ、ちなみに書き忘れましたが、当日参加予定だったY下氏とK堀氏は所用のため欠席になってしまいました。残念。
来年はみなさんご一緒に♪
1週間経ちましたが、体調いかがですか。
前半は富士に重なる桜

10時間走る・歩く・進むことはそうそうあることではないので、未知のことがいろいろ起こりますね。走った後に鏡で見た下瞼は真っ白でした。汗となり距離となりいろいろなものが体から出て行きました。後遺症もいろいろ。
でも、体は元に戻ろうといつも働いてくれていることも一日一日体感しています。
僕は50kmあたりでカンペイちゃんを思い出していました。
毎日これだけの距離を続けていく、、、、
まったく頭が下がる思いでした。
今回も(ノリであったとしても)誘ってもらったのでチャレンジできました。
僕一人ではとてもそこまで気持ちが動きません。あねちゃんが参加すると聞いたときには「なんでそんな長い距離を、、、俺はとても無理だ」と思ったことを、今でも覚えています。
やってみて、わかることがありました。
自分の準備不足をよそに”足が痛い”とか、”もう走りたくない”などと、言うことはやめようと思いました。
ゴールに向かうランナーと周りの応援している人たちを見て、知らない人なのに涙が流れてきた。こんな経験は初めてでした。
一歩踏み出すふしスタさん、そしてその周りのみなさんに、本当にいつもながらありがとうございます。
また来年も!
おにぎり(かすみがうら)マラソンと
うるうる(チャンレンジ富士五湖ウルトラ)マラソンのリベンジしましょう。
ありがとうございます。そして大変お疲れ様でした!
僕も来年は絶対、ゴール前で泣きたいです。
そのためには夏から少し準備をしなきゃね。
K堀さんが10月末に大阪マラソンを走るので(内緒らしいですが…w)、その練習に乗っかっていこうかと。
今回は一緒に走ってくれてありがとう。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)